「父を超えられない」は「わたしが見つからない」だった。
2021/01/08
 わたしは今、クリエイターとして報酬をいただいて生活しています。
小さい頃からわたしのことを知っている人たちは、まぁそうなるだろうなと思っていたよと言うのかもしれません。
というのも、父が仕事柄物づくりや絵を描くことが得意で、クラス全員の似顔絵を描いて学校にプレゼントしたり、担任の先生に頼まれて絵画教室をしたりなんてこともあり、娘さんも絵が上手だし、そういう仕事をするんでしょ?とよく言われた気がします。
確かに絵を描くのは好きだったし、体育よりも美術だとか技術科で洋服を汚す方が好きでした。
それでも、何を描いても言われるのは、「さすがお父さんの血ね」だし、父と同じキャラクターコンテストに応募すれば父が採用、わたしは入賞。父のことは超えられない。なんとなくそれがずっとコンプレックスでした。


父にはできないこと。わたしにしかできないこと。
 そんなわたしには、もう一つ好きなことがありました。音楽です。なかなか上達しないながらも、ピアノも3歳からずっと習い続けていました。中学生の時にオーボエという楽器と出会ってのめり込み、練習に没頭しました。これなら父と競争する必要はない。弟とも比べられたりしないと思いました(2人いる弟たちも絵が得意でわたしなんかよりずっと上手いのです)。
そして、なんとなく分かる人には分かるでしょうか。難しい楽器と言われるオーボエは部活に1人、いても2人という希少なパートです。わたしにしかできない、という言葉がどれだけ自分にとってキーワードだったのかという感じです…。
学校ではみんなにすごい!と褒められ、音楽経験者がいないので家族は演奏を聞いてもいいも悪いも言わないのです。
いつの間にか絵を描く時間はぐんと減って、わたしの夢は音楽家になることになっていました。
 いよいよ夢に一歩近づく大学受験というところで、志望校に入れず、浪人してリベンジに燃えましたが、浪人から半年たらずで局所性ジストニアという病気になり、夢は愚か、受験すら困難になりました。
急に目標までの道が閉ざされ、新たな進路を決めるために(浪人している上に、夏も終わりという頃だったので、後がありませんでした)自分は何が好きかとか、何が得意かを考えました。
音楽が大好きなはずなのに、演奏ができなくても作曲家とか指揮者とか音楽に関われる仕事はたくさんあるよと言われても気が進まず、オーボエが吹けないならと、音楽の世界を目指す事はやめました。
今思えば、わたしは音楽家になりたいんだ!とがむしゃらに走り続けて気づいていませんでしたが、わたしは、「父を超えられない」から悩んでいたのではなく、「わたしが見つからない」から悩んでいたのだと思います。
やっと、わたしだからできることが見つかったと思っていたことが目の前から突然なくなって取り乱したのを覚えています。とりあえず何か別の、興味がもてる分野で大学に行かねばと、映画が好きだからという理由でメディアについて学ぶ大学に入りました。


夢探しは自分探し。
夢破れてどうしたものかと半ば自暴自棄になっていた1年生の時、いろんな人が、わたしが絵を描くことが好きだったことを覚えていてくれ、声をかけてくれました。中学生の時に描いた犬のらくがきを父が褒めてくれたことがあったのですが、その犬を自分のマスコットキャラクターとして、その後も描き続け、遠足のしおりだとか、クラスの思い出で残すアルバムなんかにも描いて友達にもわたしの絵として認識してもらっていました。
ある時、高校の先輩が、あれをもっと活用してみたらどう?何かできるんじゃない?と言ってくれました。それがきっかけで作ったLINEスタンプは発売から6年経ったのに、いまだに初めましての人との話すきっかけをくれます。
その後も、同じキャラクターで作ったアニメを学祭で披露したのを見て声をかけてくれた男性は人生の大事なパートナーになりました。
また、アニメをYouTubeにアップしたら海の向こうのファンができました。
留学した時にもそのキャラクターを描いてプレゼントしたりすると、わたしの絵が好きだと言ってくれる友達がたくさんできました。

 今、そのキャラクターでいっぱいのポートフォリオを見た方から、1人のクリエイターとしてお仕事をいただけるようになりました。1人で開業して初めてお仕事のご依頼をいただいてからあっという間に1年が経ちました。
その上、父を超えられないからと絵から遠ざかっていたわたしが、紆余曲折あったのちに、会社を辞めて父の事業も手伝うようになっています。
絵もまた描き始めて、最近新しい友達、新しい繋がりができました。絵も、音楽も、人の心に触れるものであることは同じだと思います。
小さい頃からずっと、誰かの心に届くものを生みたい、つくりたいという気持ちは変わっていないのかなと感じます。

コロナ禍で安定しない毎日で、まだまだ駆け出しだけれど、今が一番充実していると言える人生を送っています。
作品を作ることで自分がたくさん笑顔になれたように、たくさんの人とかけがえのない繋がりが持てるところまで人生を歩めたように、誰かを笑顔にしたり、人の繋がりのきっかけを作る作品を作っていきたいです。

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